はちみつ日記

お弁当日記に近くなりそうです。

2023 3/18 『節約はここから、たぶん』~おまけ:過去のお仕事の話part2~

 

休みだーと日中気を抜いて過ごしたら、日暮れ頃に時間の経過に気が付いて、慌ててあれこれとやることになったという午後にやたら偏った一日になりました。

 

気が付いて動き始めた時間が16:30頃。

 

午前は雨が降っていたとは言え、今から干しても…と思いつつも、思ったより溜まったように見える洗濯物を見て、いつの間にやらだな、と。

 

我が家にはバスタオルが2種類あります。

 

無印良品の綿の白いバスタオルが4枚

・頂き物のふわふわしたカラフルな化繊のバスタオルが4枚

 

種類で任務を分けており、お風呂上りに身体を拭くものは『綿の白い無印チーム』、ベットの枕元に敷くものは『化繊のカラフルふわふわチーム』ということにしております。

 

どちらも使用頻度としては同じはずなんですが、どういうわけか今週は白い綿チームの方が早く収納棚から姿を消しており、その上白の綿チームは収納棚で待機している人員ゼロ、という事態…何故…いや、考えたところで思い出せる気はしない…。

 

思い出したところでどうする、とツッコミつつ…

判断力のいい方というのは、きっと思い出す必要性みたいなものすら瞬時に判断しているんだろうな、と思うんです。

そうできたらいいんですが、ついどうしてだ?と思ってしまがち。

自分の今いる世界が1秒を争うことでもないのですが、かつて働いていた業界では自分の担当する仕事はそうではないけれど、きっと現場は秒を争っているに違いない、と感じていたことがあります。

(マニアックな話な気がしますが、t‐PAというお薬を投与したとき、薬価だけではなく、投与するタイミングで算定点数が異なる…というお薬でした。長くいた業界ではなく専門でしっかりを勉強できていたわけでもないので、そういった薬は他にもあるのかも知れませんが、個人的に経験した範囲では少し個性的な算定方法な気がしていました。)

私自身は事後の処理をする部門が担当でしたから、職場へ行って、カルテを開いたりしてから、あ、夜間にこんなことが…、という感じで1日が始まっていました。

患者さんやご家族の方は不安だっただろうな、先生も看護婦さんもきっとお疲れだろうな、なんてことを思いながらのスタート。

規模が大きな組織なので、事務所と現場は顔も知らない(いや、一方的にはこちらは知っていても、日々ハードな現場で神経を使う判断を緊急的に繰り返す現場の方はきっと事務所が担当しているのが誰であるか迄気にしていられないのが現実ではないかな、という気がしていました。)

自分でいうのも…ですが、根本的には優しく、穏やかな性格だと思っています。

相手の気持ちを考えようとしてしまい過ぎて自分の心の負担にしてしまうところがありました。(多分、根本の性格は変わらない。)

特に、担当をさせて頂いていた数人の先生の内、夜間の救急対応を恐らく若手の先生が多く担当していたんではないか、と思うのですが、夜間救急対応をされたであろう記載があったその日の日中、その先生を偶々お見かけする…午後もお見かけする…みたいなことがあると、先生はいつ休んでおられるのだろう…?と勝手ながら心配したりもしていました。

 

その内あまりに夜間の記載後にもよくお見かけするものだから、見間違えてる…?似た先生がいるとか…いや、先生三つ子説…まさか同じ先生が実はいっぱいいる…(訳はない)なんてことまでも考え始め…ついにはそんなに働き詰めの先生へ次から次へと仕事を持って行かねばならなくなった時、心が傷んだりもした…という…。

(今思えば仕事を発生させているのは私ではないし、声に出してお声がけすることもなかったんですが、私に心配されても先生も困るかもしれませんね。気にし過ぎです。笑)

 

とりあえず、当時の仕事は、業界的な面もあれば、稼働率の高いという状況、規模的な事、経験値もそうですが、自分自身の性格と考えて、向かなかったんですね。

 

その結果、私はそこを離れたことで、結果として複数の業界を経験していますが、とあるお仕事で非常に良い成績を出した際、『人には4つの窓があって、本人の自覚と他人が認識している面が異なること、というのはあることだ』という話をしてくださった経営者の方がおられました。

 

『好きなこととと得意なことが違っている』みたいな話と似た面があるかも知れませんね。

 

『お酒好きなのに、酔ってしまうんだよ』みたいなことや、『ボクシングをしていたんですが、優しい性格のせいで相手を殴ることに戸惑いがあったんですよね、向いてなかった、似た話ですね』みたいな話をしてくださった方々もおられましたが…

 

正確に言うとちょっと違っている、と思うのが、『やりたいのか否か』みたいな面や『自分の力が及ぶことなのか否か』みたいな問題が絡んできたりもするので、ちょっと違っているものだと私は感じているんですが…。

 

共感しようと思ってしてくださったご配慮には感謝したい、と思います。

 

ただ、お酒は飲まなくてもいい(大抵の場合仕事でもないし)、そして自分が飲みたいという気持ちがあるなら…というところではあります。

 

ボクシングについても、強くなりたい、相手も強くなりたい、と思っている…となった時、真剣に向き合わねば失礼にもなる…、(怪我必須で殴り合いをしている競技についてずっとああ、見ていられない…みたいな気持ちになるところが個人的にはあったんですが)やってる本人たちは痛みやなんやよりも、『強くなりたい』というお互いの気持ちみたいなものがあって競技として成り立っている真剣勝負なわけで。

 

医療に関しては相手の命という人の手が及ぶ及ばないが解らない面があるものです。

今となっては、それでも責任を負うリスクも背負いながら、身を削りながらに見える業務を(どんなことを考えながらお仕事されているかは人それぞれあるかも知れませんが)日々担っている世界…。

自分の力が及ばないかも知れない世界、施すことが乗り越えるためのものであっても寄り添い信じ、現実を受け入れる…ということを繰り返していく…

 

業界を辞めてから、偶々看護士をしていた方とお知合いになりました。

お年は親子ぐらい違いましたが、仲良くしてくださった。

看護士歴数十年。

社会人経験の大半を看護士として過ごされ、現場を離れた、離れておられるときにお知り合いになった方なんですが。

現場で仕事をするお仕事の方は、学生時代なんかにも、心が揺らいでしまわないように保つ訓練というのもするそうです。

どんな訓練なのかは知らないのですが、そうやって訓練後に厳しいであろう現場へ出ていく…。

若手の教育を担当したこともあったそうな彼女の話によると、色んな理不尽もあって若手の医療者の方がこんなことのために医療者を目指したんじゃない!といい出すこともあった、とか、医療者が治しているんじゃない、全ては患者さん自信の力で治っていっていることが多いと思ってる、なんていう深い話もしてくれました。

 

(とある先生の『僕の仕事は患者さんを治すことだ』という言葉の深さも感じます…色々思ったり感じたりして動けなくなってはいけない、どんな相手であろうと、目の前の患者さんの治療に当たることが医師の仕事だ、余計とも思えることを考えないという意味だと思います、たぶん。)

 

私が業界に入って最初の研修で『コンシェルジュ研修』というものがありました。

様々な資格があり、資格で担える業務の線引きの多い専門職の集団の中で、私がいたのは『医療従事者』ではなく『医療関係者』という立場だったと思います。

従事者のサポートが主な仕事、という感じでしょうか。

 

今時は看護士さんも性別問わずお仕事とされている方も多いそうですが、圧倒的にまだ女性の多いお仕事な気はします。(元看護士の彼女の話によると、彼女が就職した頃の制服はワンピースの制服、研修生はピンク、というのが常識だったあたりからも『看護士は女性』というイメージは過去強かっただろうね、と言っていたっけ。)

 

厳しい世界、女性ならではの出産であったりでのお仕事から一時的に離れられる方も多い、資格は持っていても活かして働かないことを選ばれる方も多いそうで。

慢性的に人員不足とも戦う状況の中、(コロナの流行で顕著になった気がしましたが以前から看護比率だったり基準に沿った人員確保は大病院では大変そうなイメージはありました)『従事者』にしかできない業務を従事者が担わねばならず、かといって物が与えられたら患者さんやその家族が安心して療養に努められるという単純なものでもわけなく…

 

『関係者』にも患者さんの心のサポート業務が求められるようになりつつありました。(民営化的なことで患者さんに病院が選ばれる側になった、という背景もあったでしょう…セカンドオピニオンであったり…)

 

長くなりましたが、こんな背景であった『コンシェルジュ研修』で『優しさとは、人の憂いにそっと寄り添うこと』と研修の先生が言われたのを覚えています。

 

何かをしてあげよう、励まそう、施そうとすることだけではないんだな、とその時思ったような気もします。

 

優しさは寄り添うこと

 

不思議ではありますが、業界の仕事を離れた後も、私の人生には常に医療従事者の方との出会いがありました。

 

『医者の無養生』なんて言葉もありますが、ハードワークをこなし、同じ人間であることを周囲から忘れられがちに見えるお医者さんという立場…

もちろん、全てが訴えられないのもよくないですが、日本はどういうわけか、特に医療訴訟が多かったり…という面もあるそうです。

(訴えをされる方の気持ちは想像します)

ただ偶々知り合った先生(胸部外科医の方でした)は、『医療業界独特な、自己犠牲を求められたり、自己犠牲が当たり前だ』という世界感は少し変える必要があるように思う、みたいな話をされていたのを覚えています。

 

そんな話を私にする傍らでもパソコンでお仕事をしていたっけ…(業界にいた時にも思っていたことでしたが、ほんと先生はいつ休んでいるのか…)

 

普通なら愚痴っちゃいそうだよ、と思いました。 (それで何もどうも、かも知れませんが…)

ところがそんな話をした直後、先生がパソコンを閉じ、お待たせしたね、と口を開いて言われたことが、『○○さんの学生時代って、煙草の害について学校で教えてくれたりした?』でした。

 

『保健で百害あって一利なし的なことは聞きます』と答えたところ、『そうか、それは良かった、実際のところは遺伝的な要因もあって、吸ったからって吸った人全員が病気になるわけではないんだけど、リスクは上がるんだ』と。

 

『義務教育でそういったことを教える機会があるのはいいことだ』とにこっとされた。

 

決して日々向き合っているものに先生だって心が動かない、心を傷めないわけではないんだろうな、と思た、というエピソードです…。

 

当時の私を振り返ると、現場仕事ではないながら、感受性が高く、若さも相まって感情のコントロールを強く要する業界の仕事には合いませんでした。

( 後に転職し、命のかかわらない業界の方は感情表出が多く、表出した感情の共有でコミュニケーションを取っている…とうい面のあり、環境変化に戸惑った時もありました…。今も感受性が高いことはきっと変わらないんでしょうが。)

 

 

…ン?…ただのタオルを洗えてなくて困ったな、みたいな話から、気がつけば過去のまぁまぁな思い返しの話になってしました…(笑)

 

判断力の話から、判断力と言えば、医療現場の話…という展開になっていましたね、タオルの話と節約の話へそろそろ戻りましょう…。

 

結局のところ、白綿チーム(気がついたらどんどん名前が略されてる…)の増員をしなくても、いざとなれば(あ、タオル足りないって然程いざってことどもないけども)、カラフル化繊チームに応援要請を出せばいいだけのことなんですが。

 

とりあえず、洗ってはおかないとな、という気にもなったので、日暮れに差し掛かってから洗濯開始。(笑)

 

1度に洗濯機に入る量や、干し場所の確保だったり…『まだ洗濯しなくても大丈夫』とこちらの洗濯への意識が緩んで溜めすぎてしまう可能性も考えたら、増員後に発生する問題も多そうだもんなー…今以上に積まれた『洗濯未』状態のタオルを見て、自分の心が折れないとも限らないし…(笑)

 

やっぱり今回は増員をしない、という経営判断をすることに。(おおげさ。)

 

ものすごく色んな事を思い出しながら、結局はタオルを一枚買い足すか程度のことを考えただけなんですが、キレッキレの経営判断をしている気になりつつ、ヘンテコな時間に洗濯をガンガン回してくれというめちゃくちゃな指示を洗濯機に出す…。(その内AI搭載洗濯機にでもなったら『こんな時間に洗濯ですか?』とか言われそうです…しばらくAI搭載の洗濯機は導入しないようにしよう、と思います。←)

 

今の洗濯機、お手頃過ぎるくらいの価格で入手したものではありますが、洗濯はお任せできる相棒がいるので、洗いあがるまでの間に自分はベランダの掃除をすることにしました…。

 

小さな古いマンションなんですが、立地と広さにしては家賃が割安で、寝室とダイニングを分けられるからダイニングテーブルが置ける、ということと、ダイニングに小さいながらもベランダがついているのが気に入って、選んだ今の部屋。

 

隣の敷地から生えた木から落ちる葉っぱと、たまに通りすがりの鳩が落としていくであろう抜け毛ならぬ抜け羽(?)をたまには掃除しておこうと思って、月2度程の掃除を目標立てたので、そろそろやっておこうか、と。

 

その後、洗い物をテキパキと片付け…

 

お風呂の壁や床の掃除もしておきたい、と使い捨て手袋を片手につけ、中性洗剤とスポンジでささっとお風呂場を洗い、排水溝のゴミをとってそのまま使い捨て手袋を裏返しつつ取り、縛ってポイ。

洗剤を洗い流して、お風呂掃除おしまい…。

 

トイレの掃除も簡単に。

 

ダイニングと寝室の床拭きも角を丸くでもいいからざっと拭いて、やったぞ、という気にはなりたい、と簡単に(いや適当に)拭き上げ。

 

意外と動いてしまえば思っている程家事には時間はかからないこともあるんだよね、と気が付くこともあります。

 

のんびりしようとすると返ってあっという間に感じることもあるという体感時間の不思議…。

最早誰かが時計をいじっているのではないかと思う次元…

 

スマホのチャージをして、スーパーの前で回収している資源ごみと、欲張って借り過ぎて読み切れなかった図書館の本をとりあえず期限だ!とに返却するために持って出ました。あー…レンタルつんどくの人状態じゃないか…と思いつつ…(笑)

 

お米と味噌、朝のパンやたんぱく源を切らしていたので、それだけでも買い出しておかねば、と思っていました。

 

出かける前に、お米の相場ってどのくらいなんだろう?と気になって調べていました。

 

結果、『360円/㎏』が妥当なようです。

 

先月1カ月、炊飯の回数を地道に数えてみていたところ、どうやら私は合計4㎏程度のお米を1カの間に食べているようす。

 

大抵のものはまとめて買うと割安になる、お米も例外なく…という様子でしたが、日持ちはするとは言え、カビや虫などからの襲撃(?)を考えたらいっぺんに買いすぎもリスキー…1カ月毎に5㎏ずつの購入にしよう、ということにしました。

 

パンも好きなんですが、身体によくないらしい植物油脂を原材料に使わないパンは高価。

輸入食材や工場生産のものが軒並み高騰してる中で国内生産量が多いお米は炊飯の手間暇はかかれど健康的でお手頃な主食なので、お米メインで行こう。

 

5㎏は1800円以下で買えたらいい買い物なんだ、と思いつつ、先週近所のスーパーで見た価格が1600円程度だったことを思い出し、ネットより店頭に買いに行く方がや安いんだな、と思っていたので、折角だから図書館の帰りに別のスーパーも市場調査と思ってのぞいてみてから考えよう、ともう少し遠いスーパーまで資源ごみの片付けも兼ねて出かけてみた。

 

結果、寄ってみてよかった、何と5㎏1400円!やった~(笑)

 

ちなみに…な話ですが、我が家はお米好きな母のこだわりで、お米はずっと『こしひかり』でした。

 

最近になって、粘りがありもちもちしたお米より、自分はもう少しあっさりしたお米が好みだったかも、ということに気がついたりして、『あきたこまち』に変えてみたのですが、『こしひかり』に比べてリーズナブルでも十分おいしい。

 

ちょっとしたことですが、相場の把握と・自分の好みやこだわりの見直しをしてコストダウン出来るところをよく考えてみることが、節約の第一歩かも、という気がします。

 

さて、そんなわけで、このお休みは色々なものの相場調べもしたいな、と思っています。

 

あ、なんかよくわかんないけど、気がつけば久々の節約の話題のはずが、謎の超大作日記になった…(笑)

このところそういうこと多いけど反省してるのか、自分よ。←