はちみつ日記

お弁当日記に近くなりそうです。

2023 3/11 休日の朝食、少し自分を振り返る。

おはようございます。

この週末のお天気は晴れようです☀️

 

花粉が多い、という通知がきていたことと、疲れていたし、午前中寝過ごしちゃうかもなぁ…という2つを警戒していたものの、いつも通りの時間に目は覚め、案外問題はなさそうです👀

 

だいぶ習慣づいて身体が覚えて来たのかも知れませんし、それに合わせてアレルギーも以前より少し穏やかになったようにも感じます。

 

不規則な仕事をしていた際には中々リズムが掴めないでいましたが、それが日常化してしまっていると、違和感はありつつも、その状況が自分に合っているのか合っていないのかの判断も難しくなってしまうように思います。

 

合っていれば『疲れない』わけではないのだと思うのですが、『疲れ方』は色々あるんだな、というのを最近はちゃんと実感できている気がします。

 

スケジュールがしっかり入った状況だった今週の平日。

週末に向かうにつれて家事を少し休みながら、あえて休日のスケジュールを決めないで空白にして迎えました。

 

自分にとってはこういう空白の時間も大切な気がします。

スケジュールいっぱいで、毎日を充実して過ごせる人への尊敬はあるんですが、憧れは持たなくなりました。

 

というか、恐らく憧れは元々なかったのだと思いますが、周りが憧れるようなキラキラした感じに憧れられない自分に何となく不安を持って過ごしていたような気がします。

 

『キラキラしたい!』『キラキラしないとダメ!』みたいな感覚とは違って、『キラキラをいいと思わないといけないんじゃないか』みたいな、もう一つ手前のところで心に何か引っかかっていたような気がするんです。

 

できるかできないか、の問題ではなく、どうしたいのか…自分の気持ちの問題をこう感じられないのは変なのか、あー感じられないのはよくないのか…みまいな感じで思っていたんでしょうね。

 

少しややこしい話ではありますが😂

 

あーでもない、こうも違う気がする…これは嫌、みたいなことは認識できるのですが、『こうしたい!』という強いものが元々少ないのか…元々はあったのに、どこかでうっかりなくしちゃった感覚なのか…それすらもよく解らない。

 

自分のことを理解したい、と思い始めて、専門の先生のアドバイスも頂くようになりました。

 

『もっと自分を出していい、食事のメニューを選ぶような時、どれがいいか?と考える、そういう時に私はコレ!』みたいなことをしっかりやってみること、という本当に小さなことなんですが、自分がいいと思うことを選ぶ、ということを練習する、という感覚でしょうか…。

 

成程、と、ここ一カ月程、小さなこと(例えば、水筒に使う魔法瓶をどこのメーカーの何色にするかとか、普段よく使うボールペンをどこのメーカーのものにするかくらいのこと)からちゃんと自分の基準や好みを考えて選ぶようにし始めてみました。

 

特に拘らずとも良いと言えばよいことは山のようにあると思うんですが、多少は拘わる、考えるという行為が、自分の価値観を理解するには必要な作業かも知れません。

 

仕事中も、自分がやりやすいやり方を考えて工夫を。

求める結果が同じになるなら、工程について詳細なところまで決めておくか、各々でやって良いか、というのは仕事の内容にもやりけりだもは思いますが、今の上司や先輩はあまりやり方について強要するようなことは言われない、そんな環境です。

(過去は真逆の環境もありました。)

自分には何が合って、何が合わないのかを知ることは大切な作業です。

 

私にとってみれば最近の環境の方がありがたく、特にノートの取り方についてはちょっと周囲で話題にされ始めてしまっているのは知っていますが、自分の苦手なことを得意なことでカバーしていくとこうなってしまう…というだけなんだとは思い、結果が出せていれば気にせまい、と思うようにしてはいます。

周囲を見渡すと同じタイプは多くないのかも知れず…いじられることもあるんですが、まぁいいじゃないかコミュニケーションのきっかけになる、くらい…で。

 

(ちゃんと線に沿って丁寧に書かず、斜めに、しかも走り書き、余白が多いままメモを使うので、きっと見返しても他人には解らない…というか私自身も振り返って何書いているやら…となりかねないのでは…と思っているんですが🤔今のところ先輩は、業務自体をちゃんと振り返れているので問題ないと言ってくださるので、これでもまぁいいや、と思えているんですが。ありがたいことに、先輩との相性も良かったのかも知れません。個人的には説明する先輩の速度に合わせてメモを取るとあーなっているだけだだったりもするんですが…🤔)

 

心配症に不安症もくっついてしまっていて、中々自信が持てないでいたんですが、きっと心配症は元の性格、不安については環境でも随分変わるのかも知れない、ということを思い始めました。

 

中々うまくいかなくて苦しい期間があったとき、『よくなってくるからね』と言ってくれた方の言葉はとてもありがたかった。

 

不思議なことなんですが。

 

私は学生の頃、薬を扱う仕事をするつもりで進学をしました。

 

きっかけは、学生時代になった病気で手術を経験したことでした。

 

恐らく、生まれつきのもので、本来なら比較的小さな時に発見されて治療を受けるケースが多いようなのですが、私の場合はちょっと発見が遅くなりました。

 

発見が遅くなった理由は、恐らく抗生物質じゃないか、と思っていますが、詳細は専門でもなく、先生に確認もとっていないため、解りませんが。

 

振り返ると小さな頃にお腹が痛くなりやすかったように思います。

きっと心配症な性格的なものもあって、気持ちの問題的な原因や、子供のときには感染症に罹りやすい事情で、抗生物質を飲んだりもします。

 

根本の別の原因があっても、偶々表面的見えたものの治療をしていると、根本に抱えるものの症状もいいのか悪いのかその場しのぎにおさまってしまう…

 

こんなことを繰り返していたのかも知れません。

 

身体が丈夫になってくる中高生の頃、偶々久しく抗生物質のお世話にならない期間に今まで抑えられていた生まれつきの問題が表面化した、という感じだったのでは…?と思います。

 

その病気はものすごく珍しいことでもないのだと思いますが、夜間の救急の窓口業務をしていた研修の先生には難しく、複数の先生が呼び出され…。

 

不安になったことを覚えています。

ただ印象的だったのは、1番最初に担当してくださった若い男性の先生が、自分には解らない、誤診してはいけないと思っているから僕には解らないということを伝えるよ、不安にさせてごめんね、と伝えてくれた後、検査のための採血をする時に、採血は得意だから、安心して任せてね、と声をかけてくれたこと、でした。

 

その後駆けつけてくれた優秀な女医さんが、診断をしてくださったんですが、できることなら手術は避けてあげたいと言ってしてくださった処置が、結局手術になった際に裏目に出てしまった…ということがありました。

 

その手術が始待ってしまった後、お腹を切ったら初めて原因がわかった…という…。

 

運が悪いのかいいのか解らないのですが、緊急手術になったしまったその手術を担当してくださった先生が、専門外だけれど、私のと同じ症例の担当経験があった…というパターンで私の手術は無事終わりました。

 

その後、しばらく入院、術後の痛み止めや栄養剤の点滴、看護婦さんのお世話になったりしながら元気になっていったのですが、試験を控えていたりした関係もあって、少し早く退院をしました。

すると今度は体質の問題で傷口の治りが悪かったりもして、ケアにも随分手間がかかってしまい、通院をした時期もありました。

 

ここでも運がいいのか悪いのか、当時母が仕事柄、術後の傷口のケアをよく見ていだそうで。

自分の傷を自分で見るのが怖かった間、母が手伝ってくれたのも覚えています。

 

そんなこんなを経験して、学生時代の私は医療に携わる仕事を志したのですが、ここまでを読んでくださった方はお気づきの通り、心配症の怖がり…

 

判断力を要する医師や臨機応変、感情とも向き合わなければならない看護…血を見るようなこともあるでしょう…そんな患者さんにとって重大な出来事を現場で毎日経験していくような仕事には自分は到底向いているとは思えませんでした。

 

コツコツ真面目にはやれるんじゃないか、少々心配症でも慎重さと捉えればできるかも知れない、そんなこんなで、看護よりは緊急の現場へ出ることの少ないであろう薬を扱う仕事を目指すことにしたのでした…。

 

何より、術後経験した痛みを緩和したり、不足する栄養を補うためにしていた点滴であったり、あの時を乗り越えるためには必要でありがたいものだった、ということを経験したことが、学びたい、と思う気持ちに大きく影響したかも知れません。

 

無事進学。

 

その後、詳細は省きますが、色々な理由があって中退をします。

 

別の形で医療関係の仕事を経験し、様々なものを見て、若く経験も知識も浅く、精神力も養わないまま見た世界に圧倒されて、怖くなってしまいます…。

 

決して自分できることを過信していた、とかではないと思うんですが、その世界を離れて、しばらくぽっかりと目標がないままに過ごしてしまいます…。

 

焦りは増えるのに、目標は中々持てない…。

 

色々なことを経験して、今振り返ると、どれも必要な経験だった、とかそんな風にはまだ?言えないんですが…

 

改めて振り返って思うのは、あの手術のとき、解らないことを解らないと認めて、伝えつつも、できることはできる、と心を折らずに伝えてしてくれた研修医の先生の対応にこの人は一生懸命自分のことを考えてくれているし、寄り添おうとしてくれていると信用できたのだと思うし、誤診になったとは言え、診断を下さなければ先へは進めず、自分の責任になることを恐れず?診断をして、手術をするという判断をしてくれた女医さんの決断力も、執刀をたんとしてくださった先生の豊富な経験もあったから、今自分がこうしているんだなぁ…と。

 

自分の経験で、中途半端にやりかけて、知ってはいるが解ってはいないという状況が人は1番不安や恐怖を感じるのかも知れないな、と思うんですが、10年ほど経って、別件で久々に通院をして、内服する薬を受け取りに薬局へ行った際の出来事で、ふと何かを思い出した気がしました。

 

『だんだんよくなってくるからね、続けてみて』と声をかけてくれた薬剤師さんがおられたんですが、学生時代、学ぶ中で薬では人は治らないんではないか、と思ったことがありました。

(同期生だった人の中にも学べば学ぶ程薬が嫌になることがある…と言っていた子がいたっけ。)

薬を学びに行くのがメインでありつつも、人の心に対して少し興味をもうようになったのは、薬…物質に満たされれば人にとって完璧な状態になるわけではない(物がなくても困るんですが)とある意味でちゃんと理解できたからなんだとは思うんですが、『解る』ということの程度や加減が当時よろしくなかったんでしょう…😅

 

ここ最近の通院の結果、飲み始めた小さな白い粒。

最初は飲むことも怖かった。

最初は副作用も出たりして、効いている実感以上に、不安も増します…しんどいなら飲むのをやめたい…とも正直思いました。

 

その時に思い出した『だんだんよくなるから、続けてみて』というアドバイスを一生懸命信じた。

 

と、いうか、最早直感です、信じて大丈夫、信じた方がいい…いや、信じたい!どれなのか…その辺は複雑でしたが、言葉の力?

薬を続けて、なるべくリズムを正そうと自分でも多少やれたことで随分改善した体調なんだと思うんですが、薬を続けるためには、あの言葉がなかったらきっと難しかっただろうな、とも思うんです。

 

学生時代に薄ら自分が気づいていたけれど、うまくできなかった何かを、してもらう立場になって、ちゃんと経験した時、諦めてしまっていたことやが無意味なものじゃなかったことを改めて気がついたり…信じられていない状態になっていた自分に気がついたり…。

 

最近お世話になっている薬は、効果を感じるのに時間がかかる薬なんだそうで、中々効いている実感を持ちにくい感覚がありました。

ただここ最近、少し鈍っていた感覚が戻ってきたように感じる瞬間もあったりします。

 

集中できるようになったということが今は1番わかりやすい回復してきている感覚だと思っているんですが、『先行きの不安にもよく効きますから』と先生が言っていたことも、成程…と思えるようになってきた気がします。

 

長く慣れてしまっていた不安症な自分と、先行きをそこまで不安に思い過ぎなくなれた自分、どちらが本来の自分なのか…と悩む時が偶にありますが、どちらが自分でどちらが自分じゃないのかを決めようとするから苦しくなるんだ、ということにも気がついたりし始めました。

 

どちらも自分なんだ。

 

それでいいんだ、そういう自分も自分だ、と受け入れられるようになることが大切なことなんじゃないか、思え始めました。

 

他人が多面的なように、自分にも多面がある。

悪いところばかりじゃなくて、自分のいいところもある。

 

自分と上手に付き合えるのが大切なことだなぁ…と。

 

色々起こってあっという間に過ぎていってしまった…とどこかで思っていたんですが、先日誕生日を迎えて、まだまだ余裕はないけれど、少し、心にゆとりを持てるようになりそうな気配を感じられるようになったような…

 

それが自分への1番のプレゼントな気がします🎁

 

今日はお休みです。

 

バタバタとしたくなくて週末には朝食を抜いたり、タンパク質不足に気を使ったつもりでしたが、途中逆に野菜が不足したりしていたような気もします🙄

身体のケアの為にしっかり栄養補給をして、心身の疲れをとって、部屋を整え、心の栄養をつけるのに、午後は図書館にでも行けるといいなぁ…と思います📚

 

そんなお休みの日の朝食は、一日1個食べれば医者いらず、なりんご🍎

お釈迦様を救ったらしいヨーグルト🥣

森のバターらしいアボカドを使ったグラタン風トースト🍞

朝ごはんでしっかり栄養補給です。

 

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改めて考えてみると、本当はずっと、少し自分の時間が欲しかったんだと思いますが、どうしてそうできなかったのか…は、よくわかってはいません。

考えても疲れるので、考えたくもないですし、いつか気が付けばその時でよくて、考えすぎる必要はないだろう、とも今は思えます。

 

少し考えることを保留することも必要だと思っています。

 

さて…、折角のお休み。

良い時間にできるといいなぁ😌