はちみつ日記

お弁当日記に近くなりそうです。

2023 3/13 『曇りのち晴れ』だったなぁ、という今日。

お疲れ様です。

 

今日は曇っていましたね。

 

土日の天気では、私の住むエリアは随分寒さが和らいで来たように感じました。

 

服装が悩ましい時期なので、『服装指数アプリ』とやらに尋ねてみたところ、今朝はトレンチコートをオススメしていたので、ダウンジャケットや厚手のコートは避けて、カーディガンと春物コートに、ストールも置いて出たんですが、コートは春物でも、ストールは必要だった…と感じたのでした。

 

今朝はちょっと休み明けでぼけっとしている気がしていました。

緊張した一週間から急に連休になったので、思った以上に疲れ、緩んでしまったのかも知れません。

 

先週は張り切って作っていたお弁当も、少しお休み。

『切り替えること』に意識を向けることにしました。

 

先週のこと、先輩が『休み明けは切り替えがね〜…』なんて言っていました。

私からみたらとてつもなく切り替えの早い方だ、と思っているのですが(私はちょっと切り替えに苦手意識があってきました)。

パチパチと瞬時に切り替えをしている(ように見える)先輩の仕事を見て、何だか勝手にそんなにできてるのに『できないよね〜…』に、レベルの違いがあるよー…、と思いつつも、できる(ように見えている)方でもそうは感じるんだなぁ…と。

共感していいやらどうやらでしたが。

 

素直に伝えてみました。

 

凄いなぁ…と自分が感じていること。

自分もこんな感じで大丈夫かな、と思っていること。

 

自分の中では慌てているんですが、そういったことがあまり外に出ていないのかも知れず、本人的には慌てていても慌てているように見えないのかも知れない…という今までの経験上、言葉にしておかないと伝わらないのかも…ともという…心配というか学習というか…。

 

気持ちを素直に外に出しておくこともしておかないと…、です。

 

言葉がややこしくしちゃうんじゃないかって気持ちもあったりはするんですが。

(政治家じゃないんだからそこまで考え過ぎなくとも…と自分に突っ込んであげたい気もする…。笑)

 

ただ、たまに思い出すのは、

『言葉にしないと、思っているだけでは伝わらない』

随分前の職場で、上司が朝礼時に皆にいったことなんですが、なんだかはっとした言葉でした。

 

そっか、出さないと伝わらないんだ、と思いはしたんです。

 

表情や声に抑揚をつけたりして(?)自分を表現をするというより…『表出する』の方が感覚的に近いかも…知れません。

理解が正しいかわかりませんが、『表現』より『表出』の方が意図がない感じがします。

意図しなくても発せる雰囲気のような何かや、表現力あるといいんですが、自分では慌てていたり、喜んでいたり、リアクションしていたりするつもりなんですが、外から見ると『落ち着いている』ようにみえるようです…。

 

騒がしくしたいわけではないので、『落ち着いてる』でもいいんですが、色んな事を思ったり、感じたりはしているのにそれは伝わってなかったりするのかも知れないんだなぁ…ということにはちょこっと不安を覚えたんでしょう。

 

どの道、自分の身体を使って感情表現をすることがあまり得意じゃないような気はします。

 

感情を少しフラットしながら、表現を選ぶ猶予があって、相手の様子やタイミングを選ぶことも気にし過ぎなくともいい文字の形だと、時間はかかる、と思いますが、少し楽に表現できるような気がします…。

 

ずっとずっとどこにも出さないで抱えてい過ぎてもなんだか自分も自分が感じていることや思っていることが解らなくなるときがあるというか…

 

そもままにしていたら迷子ですね。(笑)

 

 

私は色んな事を同時に、瞬時に処理するということがあまり得意ではないかも知れません…。

 

最初に気が付いたのは、子供の頃、ピアノを習った時に心当たりがあります。

 

ピアノの音はとても好きで、最近も聴いて癒されたりはありますが、自分が演奏する側となると、譜面を見ながら、左右の10本の指をバラバラに、同時に…強弱やリズム、色んなん要素に意識を向けて…自分の気持ちものせて…なんていう複雑な処理をやっている訳で…どうも私にはなかなかできませんでした。

 

技術的なこともありますが、自分の気持ちを外に出すことにそもそもの苦手意識というより、得意じゃないという自覚がある気がします。

 

シャイなのかもしれない…

 

学生時代であったり、それだとよくないんじゃないか、と思う機会は少なからずあって、自分を変えようとしたり、知らず知らずのうちに…いやいや知っていたかも知れませんが、『少しやってみたら、思ったよりできた』みたいな経験があったときに、『なんだ、苦手と思ってたのは思い込みだったんじゃない?』みたいに捉えられたことが、返って『苦手意識を持っていたこと』を否定してしまって、気付かないフリをして…。

 

何となく表面的にうまくやれるようになったような感覚に、この方がいいんじゃないか、と頑張っている自分をその内無視してしまったかも知れません。

 

そもそも論ですが、シャイがいけないことでもないです。

苦手じゃなくなる必要もなくて、苦手だな、と思いつつも取り組んでみている自分の努力を、認めてあげられたらそれがいいことな気がします。

 

頑張ってみた、ちょっとうまくいった気がしたの。

 

よかったね、出来ないわけではなさそうだよ。

 

くらいに自分とやり取りしてあげるのが丁度良いかも知れません。

 

できるできる、できてないのは気のせい、とか極端な声掛けは自信を持っていく過程で切り替えに少し時間がかかる私にはよくないところがあるな、と思うんです。

 

極端に捉えて感じている不安や心配事を無視してしまうと、それは自分に無関心になっているかも知れない。

 

 

…ピアノの話っぽい話に少し戻ります。(とつぜん…笑)

 

自分の指が手元を見ずとも当たり前に鍵盤の場所を捉えれるくらい練習をしてから、更に極めていくとピアノという道具を自分の身体のように使って細やかな表現までができるようになっていくのかも知れませんが、両手を使ってキーボードを操作する、というぱっと見似ているように見えなくもない動きなんですが、ピアノとパソコンのキーボードのタイピングはちょっと違っていると思うんです。

 

タイピングにはキーを打つ強弱の差はあまり関係がないといえばなく、強く打ち込んでも少々弱くても、PCが反応する範囲であれば、『文字が打てている』という結果は変わらず、文字を見る相手にも打った相手がタイピングした際の強弱が直接伝わることはありません。

 

同じ字が表示される。

 

ペンで文字を書く際は、筆圧や線の流れだったりが見られますがパソコンののタイピングは同じになる。

 

よくも悪くも、パソコンのタイピングは、情緒の表現をするリズム感や音の高低差、鍵盤を打つ指の力加減のようなものであったり、そういった要素が相手に伝わる形で表に出ない…出せない部分があります。

 

決まった形で表現される、というある意味安定感がメリットでもデメリットでもあるかも知れない。

 

定型の文字が並んでいくというのが撃ち込んだ作業の結果です。

 

強弱や温度感を伝えるのは言葉の選び方、組み合わせ方、組み立て方…そういった『ある程度意味がまとまって存在しているものを選んで組み合わせる』みたいな作業…という面もどこかにある気がします。

(ニュアンスの伝わりにくさってよく問題になりますもんね。)

 

 

両手の指を使って『キーボード』と呼ばれるものを打つのはピアノもタイピングも似て見えなくないんですが、タイピングはショートカット機能を使ったりする際以外は、実はピアノ演奏のように、別々の指が同時に別々のキーを押す、という瞬間がそんなにない作業だと思うんです。

早く順番にキーを押してはいるけれど、同時には押してない。(笑)

 

同時の作業のように見えて、順番に押していることの連続なので、実は同時にしていない、という私の解釈です。(笑)

 

人によってはピアノはいいけどタイピングは嫌って方もいたりするのかも知れませんが、同時にあれこれすることに苦手感のある私には、どうもピアノ演奏より、キーボードタイピングの方が技術的にも少しハードルが低いように感じます。

 

 

『もしもピアノがひけたなら』

 

 

今時の曲じゃないし、詳細に歌詞もしらないんですが、そんなタイトルの曲があったと思います。

 

ピアノみたいに色んなものを表現できるものを使い熟せたら…もしピアノがひけたら、自分を表現したり伝えたり、ということが上手にスムーズにできたかも知れません。

 

 

『言葉にしなければ伝わらない』もあるけれど、言葉ですれ違ってしまうことも…。

『言葉でないものから感じ取るもの』もあるし、『言葉でないもので表現できるもの』もあるし…。

 

だからかもしれません、言葉でない形で表現ができることが多かったらなぁ…と。

 

そんな感じのことを考えていたら、この曲のタイトルをふと思い出したので、折角だから、今度ゆっくり歌詞を読んで、曲を聴いてみようか、なんて気に珍しくなりました。(笑)

 

周囲に人がいる環境だと、他人と比べてしまう、他人と比べて上手くできないことや、自分が苦手なことにも気が付きついてしまいます。

 

できないことに気が付いて、できることを探さなくては…と焦る気持ちもしんどい。

 

できることを活用しながら、どうすれば任されることをやれるかしら…。

 

1つずつ考えてみる過程で、いつの間にかできることも増える。

 

時々数日前を振り返って、できるようになったことを点検してみる作業、大切かも知れません。

 

 

できないことをできる人を、妬むってこともないと思いますが、出来るのを見ると、素直に単純に、すごいな、羨ましい…という気持ちにはなります。

 

『もしもできたなら』ですね。(笑)

 

 

多分、そういう気持ちもきっと決して悪いものじゃないんです。

 

自分の向かいたい先を示しているのはそういう気持ちかも知れない。

 

あんな風になりたいな、あんな風にできたらいいなぁ、みたいなことなんです、きっと。

 

同じルートで道を通らないといけないわけではない。

自分が通れる道を探しつつ、同じ方向に進んでいけたらいいわけで。

 

 

そもそも、先輩は先輩です。

最初から前を走っていたんですしね。

比べて不安になったりせずとも、素直に追いかけていったらいいだけなんです。

 

まだ知らないこともたくさんあります。

全体像が見えないから、今進んでいるとこが解りづらくて不安になることもあるかな、という感じです。

 

不思議なもので、先輩は伴走をしてくれ、上司は地図の読み方を教えてくれているような感覚があります。

 

読めるようになった地図、走れるようになった道から、少しずつ、ね。

 

心配してみても、急に私を遠方に放り出したところで誰もトクしないですから。(笑)

 

冷静になってみたら、心配はしすぎる必要はないかも知れません。

不安や心配より、気持ちよく走るためにできることを落ち着いて探していけたら。

 

そ、おちつこ。(笑)