はちみつ日記

お弁当日記に近くなりそうです。

2023 5/6 片付けの効果?

 

おはようございます。

 

ゴールデンウイーク4日目。

とうとう後半に入ってきました。

 

今日もよく眠れてスッキリ。

朝食は牛乳を切らしたので、リンゴを半玉だけ食べました。

 

人参の皮が気になりませんでしたから、きっとリンゴも気にならないだろう、ということで、今朝のリンゴは久々に皮つき。

 

 

 

よく考えたら先日のブドウも皮ごと食べてました。(笑)

むいてくれていたし、むいて食べるのが当たり前で育ったんですが、ここに来て、大雑把な私は気にならないことだった、という気付き…

 

何だか勢いづいて何でも皮を食べてみそうな感じになってきていますが、流石にキウイは食べられると聞いても挑みたくないなーと思ったりします…モケモケそう…(笑)

 

 

昨日は片付けの後に母と長電話になりました。

 

母と話しているとどうして自分が不安症になっていたのか、とうことがよくわかるような気がします。

 

恐らく、本来は割合大雑把で楽観的な面もありそうな気が今の様子を見ているとある気がしていて、母が気にすることの大半は、実は自分は気にならないかもしれないというか、気にする才能がない可能性もある…と思っています。

 

無理して合わせようとしていたらそりゃ適応障害になってもおかしくないことで、親子であっても別の人間ですし、大人になって行くお互いの違いは大きくなることありますしね。

 

私には、実は物心ついたときにはいないのが当たり前だった親なのによく知らない父がいます。

私自身は記憶のある内に面識がほぼないため、親でありつつ、親戚のおじさん以上に知らないおじさん…という存在です。(笑)

 

そんなわけで、たまにひょんなタイミングで話題に登場することのあった父のことは、聞く話によると…くらい…物語の登場人物をイメージする程度にしかイメージできておりません。

 

たまに話題に上る父は、母とは正反対の人だったのではないかという気がしますが、何故だか話を聴くと、アレ?なんだか自分の話を聴いているような…と思うこともたまにあったりするから不思議なもので…(叔母曰く、私は父方の家系に似ている…という証言?もあったりしましたし…)。

 

楽観的で社交的な自由人…のイメージの父。

 

周りから聞いているとそんな印象なんですが、環境的には影響は受けてはいないはずなのに何だか似ている面がない?なんて思う節を感じるのだから遺伝子は怖いな…と思います。

 

比較的厳格で真面目な印象の母の家系とは、父の家系は真逆そうです…。

 

話によると、父の家系は金融関係の仕事や不動産関係の仕事をしていたようでした。

(父は飲食店の経営なんかもしていたようで、趣味はジェットスキーや釣り、猟だったようですが…父の話を母から聞くと、時折父は現代人なのか…?と思うことも多々ありましたっけ…母と似ていない、父と似ている…と言われても猟を趣味にすることはないと思うので、やはり私は父とも違う人間ではあると思うんですが。(笑))

 

身近にもしいたら、今とはちょっと違った経験が豊富になっていたかも…知れません。

 

振り返ると、大人になってから知り合った方はどちらかというと父のようなタイプの大人だったかもしれません。

そんなタイプの大人でないと、他人である私に興味なんて持たないでしょうし、大人になってみて思うのは、大人はそれなりに忙しい…はずです。

育った環境とは違う面を持っている人達との関わりは、新鮮さやおもしろさは多少あった気もしますが、振り返る関わっていくのは結構疲れた気もします…。(笑)

 

良い意味ではなく箱入り…世間知らずに育ってる感のある環境が私自身窮屈でしたが、いざ外に出て育った環境と全く違った方向に振り切っている状態に巻き込まれてはみたら、それもそれで何だか違うような…と思ったのが20代だったかもしれません…危ないから等々で色々なものを見るのが遅くなった結果、自分がどうしたいかどうなりたいか考えるタイミングも遅れたような気がします(一度は決めてはみたんですが、色んな事情もあって挫折したからまた考えなくてはならなくなったというのもあると思います)が、なんやかんやで今が岐路修正の時期かも知れません…。

 

それが今なのは遅いのも自覚しているんですが、どうしようもなかったこともたくさんありますし、その時その時の自分は一生懸命考えてはいたはずなので、とりあえず自分を責めるのはやめときましょう。

気にしてもそこ(過去)は変えられませんから、もう気にもしない…というか、気にすることが最早メンドクサイ…とすらおもっていたりします。

 

ふっ切れた、というやつでしょうかね?

 

朝イチから何の話やら…と思いますが、私にはよく知らないけれど、自分が育った環境とは真逆のタイプの人(父)の血が流れている…ということをたまに自覚しつつ、過ごす必要があるような気がたまにする、という話でした。(笑)

 

自分の親を知っているって意外と生きる上で役に立つことではないかと大人になって思います。

 

子どものときの方がむしろ経済的なことであったり現実的なことで周囲と差を感じたりすることが多く、そんなこと考える余裕もなかっただけかもしれませんが、むしろ自己形成に親が重要だとなんて風にはそんなに思っても…?思えても…?いませんでした。

 

あーなんかこういうところ母と似ているな、なんてふとした時に思うと、よい面であれ悪い面であれ自分を理解しやすい時ってあると思うんですが、片親知らない、というのは、よく考えてみると、あー父と似てるという風には解釈できないんです。

 

大人になるまでそういう視点で親の存在を捉えることはなかったんですが。

意外なところでの親の重要性を感じた瞬間でした。

 

片方をよく知らないと、アレ…?という箇所を自分に見つけた時にこれはもしや、父由来では…?と、とりあえずの疑問からスタートになります。

 

何に由来しているかが重要なわけではなく、由来を知ることに意味があるわけでもないんですが、何となくあー親と似てる、と思えた方が自己理解が楽に進む面もあるとがは思います。

 

知らない、となると、とりあえずはよくわからない自分の一面に出くわしたときに納得するのに時間がかかったりするように思うんです。

 

育った環境とは何故だかかみ合わないことに納得できる答えがすぐには見つからないとつい深堀してしまう…みたいな。

 

納得できる答えが目の前にあったら、悩みもしないのでは…と思うんです。(笑)

 

もちろんなんでもかんでもが遺伝子のせいばかりではないですし、両親揃ってる方だって育った環境とかみ合わないことってあるとは思うんですが。

 

何だか大人になって、育った環境との相違を感じることが増えれば増える程、遺伝子の影響が意外と大きいのではないか、ということを思う…という…

 

両親とずっと過ごした人にとっては、環境の影響と遺伝子の影響を比較することがむしろ難しいし、気にする機会もないかも知れないので、ヘンな事が気になるんだな、と思うことかも知れないですが。

 

育った環境では身に覚えのない価値観は急に自分から出てきた時だったり、それは一体どこからやってきた?みたいなものを自分んが持ってることに気が付くときありませんか?

実際どっからでもいいことではあるんですが、自分でびっくりすること、たまにあります。

特に一緒にいる方の親とかみ合わなかったり、理解してもらい難かったりするとつい掘り下げてしまった時に出てくるのが、知らない方の親の影響の気がします。

 

そこに答えを求めてるというよりは、なんとなく納得できる理由が見つかると考えなくてもよくなる気がして、納得できる理由をそこに探してみるだけだとも思うんですが。

 

とりあえずかみ合わない方と別のの親の遺伝子のせいなのでは…と自分のせいでもなく、知らない方のせいそう思っておくと楽な時もあります。(笑)

 

親のせい、他人のせいにすることがいいと思っているわけじゃないですが、自分のせい…と思って苦しんでも納得が遅れるだけ、解決することもないので、もめ事回避のために目の前の親のせいでもなく、謎の自己嫌悪にもならないように自分に矛先を向けるでもなく…いないもののせいにしておくといい時もあるように思います。

(今までそれができなかったから自分に向いてきたんだと思うので…。)

 

色々振り返ってみて、大変なこともたくさんあった母との生活を、側にいてくれた方の親のせいにして何でも責めるのは心が苦しいし、責められる母も耐久性(?)がないということに気が付いていたからそんなことになるしかなかったですが、今更気が付いた、父のせいにしておけばいいことに…。(笑)←

 

母へは側にいてくれて来たから文句も口答えも言えて来たわけですが、別に気づ漬けたくはなかったんです。

それによく考えたら逃げちゃった(?)方には言いようもないですもんね。

どこでどう過ごしてるのかも知らない父のせいだな、としておく方が母との関係は平和でいられます。

 

父がいないと自分はいなかったという意味で感謝したほうがいいのか…と思う時期もありましたが、大人になってよくよく考えると、父に感謝することなんてなんて全くと言っていいほどないなー、と思うようになったのは私がきっとちゃんとになってきたからだとむしろ思っています。

 

何の責任も持たなかった父みたいな人は嫌ですもんね。(笑)

(色々あって持てなかった可能性もありますが、知らないことですし、知る必要が今はありません。もし父とこの先会うことがあれば、そのとき知ればいいことだと思って放置します。)

 

冷静になったらですが、極端にいうと、生んだだけで親の面すんなよ!ってなっちゃいそうな気がしなくもなですもんね…(苦笑)←

 

※望んでも身体的にそうできない方もおられるので、『そんな言い方』になってしまうのは…と思いますが、わが父個人へのイラつきを表現するだと思ってご了承くだいませ…。

 

大抵は機能的には子供は産めるわけですが、育てるということはとても根気のいることだと、まだ何も生んではいないけれども育ててくれた親に対して思います。

一人で(正確には祖父や祖母も一緒にいてくれましたし、祖父母には頭上がりませんが)頑張った母にこそ感謝することはあっても…いなかった父には感謝することがないですもんね…(笑)

 

『そんな人』には似ていたくもない気がしますが、仕方のない事実でもあるんだろう、と思って受け入れて、自分を扱う方法を学んでいくこと(自分の取説作り)は続けなければなりません。自分自身を快適に保つコントロールをするために。

 

母とはもうもめたくもないですし、自分のことも責めたくない…

とりあえず、大概のことは父になすっておけば平和なんです。←

 

きっとそうしたところでどこかで何も知らずに自由気ままにやっているでしょうから遠慮しないことにします。(わかんないけどね。)

 

母には理解できないらしい私の一面(父由来疑惑あり)も今後、自分が持ってる要素として上手に使えたらいいんですが、親を知らないと活用例(?)を見てきてないと試行錯誤の量が増えるような気がしますよね。

 

それが自分の人生なのでしょうがないし、自己分析は皆、親がいても必要なことなんだと思いますが。

 

色んな事があって、物理的に片付けもした結果、何かしらに気が付いたことがありました。

 

色んな事の発端はほんとに、『父のせい』だったかも知れません。

 

自覚していなかったけれど、いろんなことへのいら立ちは本来父に向けているものだったのかもしれない…という結論でしっくりきそうな気がするからです。

 

いないものには向けようがない…

 

だからいつの間にやら押し込んでいたものが理由も忘れたころに形を変えては出てきて自分を困らせていたのかも…。

 

まぁ…気が付いた時点でどうでもいい気もしてくるんですが、もしかするとあの時のあの人へのあの言葉も、この時のこれも…全部向ける先を父にしたら、感じていた違和感がなくならない?と思ったときのしっくり感…。

 

私の問題の根源が『父』だったんじゃないか…という気づきは何だか全く予想外だったような気が自分でしますが、多分そうなんじゃないかな、という気がしてきました。

 

だからと言って、もし父に会うことがあったとしても、父に怒りをぶつける、なんてことはしたいとも思いませんが、何だか不意に不思議なことに気が付いたのは、片付けをした効果だったのかな?と思いまして…。

 

…そんなこんな、物思い(?)にふけっていたら、お昼が来てしまいました。

 

割と早起きできたと思ったはずなのに…(笑)

(さてはこれも父のせいでは…(笑)←)

 

ご飯の時間ではありますが、ちょっと甘いものでも食べて気分転換をして、ゴールデンウイーク4日目のスケジュールを今更ですが考えましょうか。

 

ふけってしまったことも多分、今後に必要な時間だったような気がします。